製造業エンジニアの道

自分を伸ばし、会社を伸ばす自己革命

グローバルで浮いてる日本企業

グローバルEMS企業(アメリカを本拠とするグローバル企業)の日本支社で開発部門の責任者をやっていたころの話。

 

まだフォックスコンが台頭する前、ソレクトロンとかフレクトロニクスといったメガEMSが日本に進出してきて、ソニーNECなどから日本の工場を買収して、日本でのEMS事業の拡大を狙っていたころ、私はジェイビルという世界ではあまり目立たないけど、EMS事業では世界で4位の会社で働き始めました。

 

当時、多くの欧米企業が、製造での付加価値よりも、製品企画や開発にこそメーカー企業が勝負するチャンスがあると、製造のアウトソーシングが進んでいました。

Apple、シスコ、HPなど、経営資源を企画や開発にシフトして成功している会社が多数出てきていました。

 

ところが、日本企業は、1970年から80年代にかけて、TQCで品質の日本として、製造業では押しも押されぬ存在となり、Japan As No.1 という本が大流行しました。

 

この成功体験が染みついていたせいか、日本でのEMS企業の進出はほぼ失敗に終わります。

部分的に、EMSを利用しているケースは多数あるものの、フォックスコン以外のEMSは、2018年現在、ほとんどが撤退しています。

 

この件に対しては、まだたくさん言いたいことがありますが、このときのひとつの経験談をお話ししたいと思います。

 

当時、EMS企業で日本での開発責任者をしておりましたが、人件費の問題などで、開発リソースは中国を活用そようと、開発拠点の本部を上海に置いていました。

私も、上海で多くの時間を過ごしましたが、特に日本企業の開発マネージャの方たちを上海にお招きして、ビジネスチャンスを伺っていました。

 

そのときの私の上司は、ドイツ人で、でもとても仲良くしていて信頼関係も厚かったのですが、ある日本企業の開発部長を上海に招待してミーティングを行ったのですが、この部長さん、日本人同士の会話では饒舌なのですが、海外の人たちとのミーティングでは口をつぐみます。

 

英語が苦手ということなので、私が通訳を務めますが、それでもあまり口を開きません。こちらのプレゼンにも無表情で、私が日本語で本音を引き出そうとしても、眉につばを付けるような感じで、終始しかめっ面をします。

まあ、打ち合わせとしては失敗だったのですが、会議が終わって、ドイツ人の上司が私のところに来て、

「お前は良く我慢できるな。ずいぶんといやな思いをいただろう。」

と言いました。

「根っからの日本人ですね。」

と私が言うと、

「日本人は、いつも自分たちが特別だと思ってないか?」

と言いました。

 

ちょっとドキっとしましたね。

自分たちがいつも特別。。。

知らず知らずのうちにそんな思いが日本人の中に生まれていないか。。。

 

そしてトドメの一言。

「彼らを二度と俺の前に連れてこないでくれ。」

 

お互いの違いを理解し、受け入れ、そしてグローバルでビジネスをする、という世界で、日本企業はいつまでも大量生産時代の成功を忘れられずに、自分たちの成功の上で立ち止まっている。

 

もう、そういうのをやめたいなと、強く感じています。